福井のアフラック募集代理店。決して無理は言いません。黒川親子があなたの「安心」をサポート。
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黒川親子の想い

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黒川親子があなたの「安心」をサポートいたします



●クロカワの親子

アフラック代理店『(有)ライフクロカワ』は、もともと昭和62年夏に、 私黒川道夫が長年勤めた会社を定年退職になったのを機に、 第2の人生として1人で始めて、2002年6月に今の名前になっています。

当時、還暦もすぎた私にお客様は、
「もし黒川さんになんかあったら、どうすればいい?」と、たずねられました。
そのたびに「ウチには息子も資格を持ってますから大丈夫です」と答えていたものの、息子が継いでくれるか不安でした。

そうこうしているうちに数年が経ち、年々お客様が増えて、やがて一人では回りきれなくなってきました。
そうなると、どうしても新契約以外の仕事・・・・解約や名義変更といった細やかなフォローが出来なくなっていて、お客様からお叱りを受けることが多々ございました。

そんなときに、やっと長男の征治(セイジ)がこの仕事をいっしょにやる決意をしてくれました。
2002年10月です。

親子で始めるにあたって、今後どのように営業をしていくかということを話し合いました。

保険屋のイメージというと、
「押しが強く、ガンガン売り込んでいく」というものですが、
今まで私が多くのお客様に接してきたような

「無理のないように、安心と感謝をお届けする」
「契約を急がず、お客様の気持ちを汲んであげること」
「お客様の役に立つことだけを考える」

というスタイルでいいんじゃないかと思いましたし、長男もその考えに納得していました。

そして2006年12月、次男の隆治(リュージ)もこの仕事を始めることになりました。

親子3人の代理店ですので、電話の声もよく間違われます。
「お父さんにしては若い声やなあ」とか
「お兄ちゃんにしては声が・・・・」とかね
それにしても「よく似ている」って言われるのはなんともうれしいものです。
大企業のようなカッチリした受け答えではありませんが
だからこそ、我々のような雰囲気の代理店で良いと思います。

よくお客様に、「そちらはどこの保険を扱っているのですか?」と聞かれると、「ウチはアフラックだけですよ」とすぐ答えられますが、

「そちらはどんな特徴がある代理店ですか?」
と聞かれて答えに困ってしまったことがあります。

今思うと、あのころ「ライフクロカワ」がどんな代理店なのか私たち自身わかっていなかったかもしれません。
一人で代理店を始めて19年が経ち、その間にいろんな方々と出会い、支えていただき、仕事に対する考えも変わってまりました。
そして今、「ライフクロカワはどんな代理店ですか?」と聞かれたら、こう答えます。
「親子3人、1つになってがんばってる代理店です」と。


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黒川道夫写真

これこそ多くの人の役に立つ
ものだと思いました
●なぜこの仕事をしているのか?〜黒川道夫〜




私は昭和61年8月、FBC福井放送での33年の勤務を終えて
定年を迎えました。

退職するにあたり、取引先であった広告代理店さんが
「営業として来てくれないか?」とお誘いも受けておりました。

それはとてもありがたい話でしたし、
定年後も大好きな営業の仕事も続けていたいと思っておりました。

当時は妻と二人の子供(当時、高1と小3)がおりましたので、
それを養っても行かなければならない。

「この話を受けようか・・・・」そう考えたのですが、
それとは別に、もっと自由に、独立して営業の仕事をしたい!
もっと人の役に立つ仕事をしたいとも考えていました。

そんなとき、会社の元同僚から「アフラックの仕事をやってみないか?」と声をかけられました。

詳しく話を聞いてみると、これこそ、多くの人の役に立つものだと思いました。
日本人の死因のトップである「がん」を保障したもので、
保険料が安く、しかも入院保障が無制限・・・。

これならば!!

そう思い、昭和62年の夏この仕事を始めました。
しかし、家族3人抱えて、0からのスタートは決して楽ではなかったです。
最初は思うように契約があがらず、また「アフラック」という名前に
まったくといっていいほど知名度がありませんでしたから、

「こんな会社聞いたことがない」
とか

「こんな保険料で無制限の保障?インチキやろ?」
いろいろ言われました。

しかし、当時、福井県内の有名企業さんがすでにこの商品の販売をされていた事が信用のきっかけに
なりましたし、またお客様からお客様への紹介もあって、少しずつ少しずつ輪が広がっていきました。

徐々に知名度も上がりテレビでCMをしてくれるようになりましたし、
また保険金をお受け取りになったお客様から、「この保険に入ってて本当に助かった」と声を聞いたりもします。

日々の仕事の中で、お客様からお客様へ。
さらにそのお友達へと紹介が続き、大きな輪になっていくとき、心から喜びと感謝の気持ちで満たされます。
そしてこの輪こそがお客様に安心と保障をお届けする輪なのだと、
この素晴らしい商品をお客様にご案内できることに喜びを感じております。

まだこの仕事を始めて間もない頃に、アフラックの営業社員で、福井県担当の方に

「黒川さん、なんでがん保険売りまんねん?」

と問われました。

家族のためでもあるし、お客様のためでもあるし、これは私の永遠の・・・ずっと探し続けるテーマです。

これを繰り返し繰り返し自分自身に問いながら、ずっとがんばっていきたいです。


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●なぜこの仕事をしているのか?〜黒川征治〜




私は元々営業をするつもりがありませんでした。
私自身「営業」という仕事に向いてないと思っていましたし、
「営業」という仕事を毛嫌いしてました。

そんな私が今はこう思っています。

私は2016年現在47歳です。
せめて75歳まではこの仕事を続けていこうと思っています。

私が長くこの仕事を続けることが、私を選んで保障を預けてくださった
お客様の安心につながっていると思うからです。

そうするためには、
ひとりひとりのお客様を大切にすることと、
私自身の心の安定が大事だと思っています。

ちょっとはずかしいですけどよかったら読んでみてください。
ちょっとはずかしいですけど
よかったら読んでみてください。

私がこんなふうに思うようになったわけは・・・・。



1.少年期の記憶。
2.学生時代〜青年期。別の道を歩き出す。
3.転換期〜青い日々。
4.現在。



の4部構成です。結構長いです。
ちょっとはずかしいですけど
よかったら読んでみてください。




1.少年期の記憶

私の親父は、私が生まれる前から県内のとある企業で営業職をしておりました。
保育園のころは覚えていませんが
小学生のころはあまりいっしょに出かけたり遊んでもらった覚えがないんです。

たまーに、外食をしたりしたことはありましたし、
海水浴につれてってもらったことはありますよ。


父はいろいろ連れて行ってくれたりしてたそうですが、
ごめん。わしはあまり覚えていない。


土日に家にいることがあまりありませんでしたし、
土日に家にいるときは畑の手伝いをやらされたり・・・。
平日でも帰ってくるのが遅くて、いっしょに遊んだ覚えがあまりありません。
クラスの友達が「お父さんとキャンプに行った」とか「お父さんとスキーに行った」とか
お父さんと楽しく遊んだ話をしていても、

「なんでオレのお父さんはどこにも連れてってくれんの・・・・?」

これは小学6年生の私。丸いな〜(笑)
これは小学6年生の私。丸いな〜(笑)
って思っていて、だから、昔は親父のことがあまり好きでもなかったし、
親父のしている「営業」と言う仕事も毛嫌いしていました。

私が小学4年生のころだったと思うんですが、
自宅の増築工事がありました。

朝早くから大工さんが高いところに登って
トンカントンカンやってるのを見て、
「うわーーー!かっこいいなーーー!」て思いました。

そして、私は「大工になる」という夢を持ちました。





2.学生時代〜青年期。親と別の道を。

中学生になってもその夢はありました。
建築学科がある武生工業高校に進学するという希望がありましたが

「高校は普通科にいっておけ、そのほうが将来の選択肢は広いぞ」という
担任の先生のアドバイスで「ほおか、それもそうやなあ」とおもい、
足羽高校に進学。


ちょうど私が高校3年の時に
親父は会社を定年退職し、その後
「アフラックっていう保険の仕事をするんや」と聞き、
また営業するんかー、ま、わしには関係ないや。オレは建築の道をいくわ。
って思ってました。


その後、
「大工」の道から「建築設計」の方に惹かれていき、
福井工業大学の木造コースへ進学。
「設計をするためには、現場のことを知っといたほうが良いな」と思い、
大学時代は建築関係のバイトをする日々。


親父が仕事を始めて2〜3年経ってからでしょうか、
親父が「お前もいずれはワシの跡を継いでこの仕事を・・・」
と言われてもまったく継ぐ気はなく、
小さいころからあこがれていた建築の道へ。
地元福井市の元気あふれる建設会社へ就職しました。


入社3年目あたり、25歳のころの黒川征治。若いな〜。
入社3年目あたり、25歳のころ
の黒川征治。若いな〜。
小さいころからあこがれていた建築の世界は
私にとって毎日が刺激にあふれていました。

失敗はいっぱいしました。
そのたびに職人さんや上司に怒られました。
でも「早く一人前の技術者になるんや」
と思っていました。それが心の支えでした。


入社してから4〜5年がすぎ、ある程度仕事を任されるようになり、
あるマンションの工事に現場監督として携わるようになりました。
工事が完了して、入居される方の検査に立ち会うことになりました。

入居される方にとって、
だいじなだいじな自分の家。
きっと完成を長く長く待ち焦がれていたとおもうんです。


それがようやく完成した


今思えば、あれが転機だったと思います。





3.転換期〜青い日々。

50世帯ほどのマンションでしたが多くの入居者の方からチェックがありました。
その場で怒鳴りつけられたりもしました。

「こんな傷が残ったままでは納得できません。」
「お金もらって仕事してるんでしょ?こんなんで良いの?」
「こんなイイカゲンな仕上がりで、あなたそれでもプロなん?」
「もう来ないで!顔も見たくない!」

そして約2ヵ月間にわたって、入居者のみなさんの部屋をまわり、
頭を下げてまわり、手直しをしました。


最初はね、
「現場でものを作ってるんやぞ、このくらいしゃあないやろ」
「このくらいの傷でなあ・・・普通に暮らしてたらなんぼでも傷つくって」
「オレかってずっとつきっきりで職人さんの仕事みてるわけじゃねえんやぞ」
って思ってました。

今、こうやって書いてみると、我ながらひどいですね。最低です。


でも、
頭を下げて手直しをしていくうちに考えが変わっていきました。


「本当に人の役に立つ仕事をオレはしていなかった」
痛感させられました。
お客様からお金を頂くことがどういうことなのかを実感いたしました。

と同時に、
自分が建築の世界で生きていくことに限界も感じておりました。

現場監督としての自信を失っていました。
正直、逃げ出したかった。

でもどこへ・・・・?



ちょうどそのときでした。
私は知人の紹介で、ある外資系の成功哲学の教材と出会いました。
その教材を使っているうちに、だんだんと自信がでてきちゃったんです。

「自分には無限の可能性がある」
「現場監督で一生を終えるのはイヤや!」
「でかい夢を追っかけるんやっ!!」

とまあ、
今にして思えば当時の私は、根拠のない自信・・・
虚勢っていうんでしょうね。
足元をしっかり見ていなかったと思います。


そして無謀にも、「オレ、海外で仕事する!!」と
家族や会社の上司や友人の反対を押し切って
「青年海外協力隊」に行く決意をし、会社をすっぱり辞めました。


しかし「青年海外協力隊」は試験に合格しないと行けないのです。
当時の私はなんてアホだったんでしょう・・・
根拠のない自信だけの私。
カッコつけてるだけの私。
見事に試験に落ちてしまいました。

会社も辞めてしまった。
試験にも落ちた・・・。どうしよう・・・。
結局、外資系教育教材を買った会社で、
それを売るセールスの仕事に就きました。


あの当時は、「わし、なにやってんだろ・・・・」ってよく思っていました。
あの当時は、
「わし、 なにやってんだろ・・・・」
ってよく思っていました。
しかし、そんなアホな私なんか誰も相手にしてくれません。
建設会社時代の取引先・・・・
古い友人・・・・
みんなから煙たがられました。
そして家族にもです。


「得体の知れないモノを売ってるんやない?」
「親戚やら近所に恥ずかしくてイヤや」
「それ、本当に人の役に立つものなん?」
「役に立つものならなんで売れないの?」
「気持ち悪いわ!」
「仕事やめてまでしたかったことがそれなん?」


ぼろくそにいわれましたね。

そして、ぜーんぜん、売れないんですよ。ホント。

全く売れないダメダメセールスマンでした。
2年近くその仕事をいたしましたが、やはり全然売れなくて、
ついにそこの会社の社長からクビを言い渡されました。


そのころの私は自分自身に疑問を感じてましたし、
こんな売れないものではなく、もっと人の役に立つモノを、
人から「ありがとう」って言われる仕事をしたい。
ずっとずっとそう思っていました。
建築の仕事をしているときから、
「人から「ありがとう」って言われる仕事をしたい。」
「人の役に立つ仕事がしたい!」
そう思っていました。

そして親父と職種は違えども、
同じ営業の仕事をしてみて親父の苦労が分かった気がしましたし、
親父のことを少しずつ尊敬できるようになりました。
そして
「いつまでもこの仕事はできない。親父と共にアフラックの仕事を、
長男として、両親を支えて行かねば」と考えるようになっていました。
もっとも、教材販売の仕事がうまくいっていれば、
もっと真剣にやっていたらこういう事も考えなかったかもしれません。


まあ、そういうわけで2002年10月からこの仕事を始めました。






4.現在

この仕事を始める時から常々親父は私に問いかけます。
「”なんでがん保険売りまんねん?”って考えてみろ」

この答えは色々ありますし、
今後もその答えは変わっていくかも知れないです。


妻の実家の近くを流れる加古川の堤防にて
妻の実家の近くを流れる
加古川の堤防にて
自分のため。
私の家族のため。
今までのお客様のため。
これからのお客様のため・・・・・


この仕事を始めた頃は、毎日が覚えることばかりで、
仕事をこなすことで目一杯でした。
しかし、徐々にまわりが見えてきた時に、
保険の仕事は本当に人の役に立つ仕事だと思えてきました。

「説明がわかりやすくてうれしい」
「保険に入っていてよかったぁ」
こういった声を聞くたびにお客様に、
【安心】と【保障】をお届けできる喜びを感じております。

今、なぜこの仕事をしているの?という問いには、
「人の役に立って喜ばれたい」

と、強く思っております。
そのためには、
無理を言わず、
ご納得いただき、
保障をお預かりして、
いざと言うときに給付金保険金を受取っていただけるよう、
そのお膳立てをするのを心がけています。


この文をはじめて書いたのは2006年。当時は私は独身でしたが、
今はおもろい妻とめぐり合い、ありがたいことに子供も授かりました。
「人の役に立ちたい」という思いと「家族を守る」という思い。
私には両方大事です。これを胸に元気いっぱいにがんばっていきます。

(了)


2006年  初稿
2012年10月 一部修正、追記
2015年10月 一部修正







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